「だましだまし」の思想
建築業界では、津波に関してはノーマークだった。日本建築業界では、耐震設計については盛んに研究されて、世界トップレベルだが、津波については部会もなかった。
津波は何メートルになるか予想できないので、来る事はわかっていても何も考えなかったのではないか。人間の頭の構造は、自分のできることしか考えないのかもしれない。
津波対策を考えてこなかったのは、その頻度も言い訳になりそうである。東日本大震災の津波は千年に1回だとか。建築の世界では、時間に関しては無神経である。関東大震災クラスの地震は60〜70年おきに起こるので、それに耐え得る設計の基準は決められている。ただ、その基準で建てた建物が何十年か経って劣化してきた時に、同様の耐震性能があるかということについては、基本的に誰も考えていない。
建築の構造計算は基本的に3倍の安全率を見ている。これは地震に対する備えでもあるが、施工段階でヘンな手抜きをするやつもいるだろうということで、そのリスクも上乗せされている。だから、自動車などの安全基準に比べて、建築の安全基準は飛び抜けて高く設定されている。
日本の建築基準は、活断層の真上でも、地盤が安定しているところでも、すべて同じ基準である。この震災を機に、こうした議論もして現実的な着地点を見つけたい。震災後すぐは、どうしても議論が過激なところに行ってしまう。例えば、市街地は全部、高台に作り直せとか。高台には土石流などの別のリスクもあるし、新しく造成するコストもかかる。
私たちはもともと非常に不安定な国土に住んでいる。だからこそ、一律の整備をするのでなく、「だましだまし」の手法を磨いていくしかない。「だましだまし」で復興を地道にやっていけば、その過程で新しい科学や技術が使えるようになり、一歩ずつ補強されていく。そういう方法論で、この危なっかしい場所を現実的に住みこなしていくしかない。震災後の対策としては、地下にシェルターのような避難設備を作っておくのはどうか。
日本人はどう住まうべきか?
どこだって、どうでも住める。日本人は本当に住むところに困っているのか。まず、困ることが先である。人生の中で一度や二度は、住むことに困ればいい。で、自分で何とかすればいい。日本人は敗戦だってそうやって生きてきた。
日本には過疎地が増えて、住むところが余ってきたのだから、そこを活かさない手はない。日本人が固定された一つの住居観にとらわれている限り、面白い住み方はできないし、震災復興もおぼつかない。
面白い住み方としては「参勤交代」を勧める。金持ちや偉い人は昔から別荘を持っている。国や地方自治体がその気になれば、お金のかからないやり方ができるはずである。