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2012/06/14更新

「当事者」の時代 (光文社新書)

360分

3P

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当事者意識なきジャーナリズム

太平洋戦争敗戦から高度経済成長の60年代に至るまで20年間、日本人は自分自身を「軍部に騙された無辜の庶民」ととらえた。自分達が戦争の加害者であるという意識は極めて薄かった。この歴史観は、戦前から多数居住していた在日朝鮮人や台湾人などを無視することにつながった。

しかし、敗戦から20年も経ち、戦争を知らない世代が台頭すると、これまでの被害者論は、「被害者であると同時に加害者でもある」という新たな感覚に変わっていった。ここに全く放置されていたアジアの戦争被害や在日朝鮮人、アイヌ、ジェンダー差別など様々なマイノリティの社会問題が表舞台へ押し出されることになる。

このマイノリティ視線は副作用をもたらした。人々は「被害者=加害者」論を過剰に受け入れ、被害者抜きの加害者論になってしまった。被害者に憑依し、第三者の視点から、被害者以外をすべて加害者として断罪できてしまう。

1970年の「マイノリティ憑依」というパラダイムは、自分を絶対的な被害者と同化させ、加害者を「あなたは悪だ」と責めることができるようにした。
自分が本当は加害者の一部であるということが忘れ去られていくこと。それは即ち、自分が社会のアウトサイダーへと退避することにほかならない。アウトサイドの異邦人に憑依し、自分は第三者の立ち位置を手に入れる。

「マイノリティ憑依」に陥った地平は、以降40年以上にわたって日本のメディア空間を覆う巨大なパラダイムと化してしまった。その要因には、総中流社会という「みんなが中流という意識」を我々自身が認識していくためのツールとして活用された事がある。在日や華僑という「他者」からの視線によって「日本人」としてのアイデンティティを再構築した。

しかし、社会の多数派の人々にとって「マイノリティ憑依」は2つの視点しかもたらさない。第三者的な偽の神の視点と、エンターテインメントにしかならない見世物的な視点である。これはいずれも歪んでおり、題材はどんどん社会のインサイドから乖離していくことになる。

右肩上がりの成長という社会の様相は、エンターテインメントとしてのジャーナリズムを成り立たせてきた。しかし、「マイノリティ憑依」はしょせんガス抜きの免罪符にしかならない。読者に「自分自身の問題」として刃を突きつけることはない。当事者の意識を生み出さない「マイノリティ憑依」こそ1970年代以降のマスメディアとジャーナリズムの最大の病弊である。

メディアの「マイノリティ憑依」に日本社会は引きずり込まれ、政治や経済や社会は浸食されてきた。「少数派の意見を汲み取っていない」という言説のもとに、多くの改革や変化は叩き潰されてきた。そういう構造は終わらせねばならない。今こそ、当事者としての立ち位置を取り戻さなければならない。