実は原爆を開発していた日本
アメリカが「マンハッタン計画」として知られる原爆開発プロジェクトを発足させたのは、1942年8月。それより2年以上前の1940年4月、日本では陸軍航空技術研究所所長の安田武雄中将が、部下の鈴木辰三郎中佐に原爆製造が可能か調査を命じました。鈴木中佐は、東京帝国大学の学者に相談しながら調査を進め、理論的に製造可能との報告書を提出しました。
これを受けて安田中将は、1941年4月、理化学研究所に対し、原爆製造に関する研究を依頼しました。理化学研究所の仁科芳雄は1943年1月「原爆製造は可能であり、ウラン235を濃縮すればいい」との報告をまとめます。この報告に基づき、陸軍航空本部の直轄研究として原爆製造が開始されます。しかし、1945年4月の東京への空襲で、実験施設が焼失し、実験は中止に追い込まれました。
戦後、日本は国家として原子力の平和利用に進みますが、その一方で、政治家には別の思惑もありました。それが明らかになるのは、1957年5月の岸信介首相の答弁です。彼は「自衛権の範囲内であれば核保有も可能である」と語ったのです。この見解は、その後の政府も踏襲しています。
日本は「核燃料サイクル」を推進してきました。使用済み核燃料を再処理して、プルトニウムを取り出し、再び核燃料として使おうという構想です。プルトニウムを独自に生産できれば、いつでも核兵器を製造する能力を保持する事ができます。核兵器製造能力だけは持っておこう。そんな国家意思が見え隠れするのです。
日本国憲法は改正すべきか?
今の憲法をめぐる論議で最大のものは、第9条の解釈でしょう。戦争放棄が謳われていますが、果たして自衛のための武力を持ってもいいのかどうか、という点です。
初期の国会論争では、政府が自衛権も否定していました。共産党の野坂参三議員が「戦争放棄といっても、侵略戦争はいけないが、自国を守るための戦争は認めてもいいのではないか」と質すと、吉田茂首相は「近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われたから、正当防衛権は認めるべきではない」と答弁しています。
その自衛権が誕生するきっかけは朝鮮戦争でした。米国は、日本に駐留していた兵士を韓国軍支援のために朝鮮半島に送ります。日本が軍事的に空白になる事を恐れた米国は、日本に「警察予備隊」を発足させます。これが後に自衛隊となります。
過去には自衛隊の基地建設をめぐり、自衛隊が憲法第9条に違反する存在ではないかとして、裁判にもなっています。これに対し、札幌高裁は住民の訴えを退けました。最高裁は、判断を示さぬまま住民の上告を棄却しています。自衛隊は、憲法違反かどうか。曖昧なまま、ここまで来たというべきでしょう。さて、あなたは、日本国憲法を、どう考えますか?