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車を好きになろう

豊田章男氏の社長就任は2009年6月。創業家出身の社長は、実に14年ぶり。リーマン・ショック後の世界不況で、赤字決算に転落した経営の立て直しを託された。

「お客様第一」「現地現物」に基づいて「良品廉価」なものづくりに徹する。豊田喜一郎から伝わるトヨタの基本精神に、章男はこだわる。創業期以来の赤字転落に戸惑う従業員に「車を好きになろう」と呼び掛ける。かつて喜一郎は「ただ自動車をつくるのではない。日本人の頭と腕で日本に自動車工業をつくらねばならない」と、従業員を鼓舞した。その孫も今、創業時のような車への情熱を求めている。

日本に車文化を

日本を代表する自動車メーカーの御曹司。周囲の視線が、豊田章男を悩ませ続けてきた。米国で働いたコンサルティング会社でも、周囲の御曹司扱いは憂鬱の種だった。「どうせ悩むなら、トヨタに入って苦労した方がいいのでは」と勤め先の先輩からのアドバイスに背中を押され、トヨタへの入社を決めた。

当時のトヨタの社長は、父の豊田章一郎は言った。「お前の上司になりたいやつはいない」、それでも入社するというならば特別扱いはしないぞ。厳しさが言葉の裏に隠れていた。その後、章男は工場、経理、生産調査、販売など、幅広い部門を経験する。

商品企画の担当になった頃、豊田は怒鳴りつけられた。「運転の仕方も知らないのに、ああだこうだと言われてはたまらない。テストドライバーは命をかけているんだ」、トヨタのテストドライバー300人の頂点に立つ成瀬弘だった。豊田は成瀬に運転を教えて欲しいと頼み込んだ。そこで成瀬から学んだのは、設計図やデータからは見えない「感性」だった。車の「味」とも呼ぶべき操作性や乗り心地を、研ぎすまされた感性で熟成させる。「トヨタもやるじゃないか」。成瀬と豊田は、そう世界が驚くような車の開発を目指した。2人には、欧州のような車文化を日本に根付かせるという夢があった。

世界一より町一番

豊田章男の憧れの人は、昔から「水戸黄門」だ。何事も現場を見て判断する「現地現物」は、トヨタの創業からの精神。水戸黄門の物語に、現地現物による改革の実践を見て取る。

「現地現物を忘れている」、周囲にそう漏らしていた豊田は、社長内定が発表されると、すぐに現場回帰の改革に着手した。豊田は理想の経営を歯医者にたとえる。「世界一の歯医者や国一番の歯医者の看板より、町一番の看板を掲げた歯医者が繁盛した。住民に最も近く、住民の事を最もよく知っている町一番の自動車会社を、私は目指したい」

リーマン・ショック以降、リコール問題や東日本大震災など逆風続きだった。それでも、ようやく「反転攻勢」に動き出した。