アメーバの誕生
サイバーエージェントもメディア事業に参入はしていた。思いつく限り、メールマガジン、懸賞サービス、ポイント事業などを立ち上げた。しかし、資金力があったところで、メディア事業は簡単に立ち上がるほど甘くないと学んだ。
2004年5月、ふとしたきっかけで競合のライブドアでブログを始めた。当初、ブログサービスはただのフリーホームページや日記サイトの焼き直しのように考えていた。それらのサービスは流行ったものの、収益も生み出さず、中途半端な形で伸び悩んでいた。しかし、ブログを自分で使ってみて初めて、そのアクセスの拡散と回遊の構造が今までとまるで違っている事に気づいた。ブログはずっとネット上を回遊できる仕組みができていた。これはページビューを飛躍的に増やす事ができる構造だった。探し求め続けた念願だったメディア事業の種、それがブログだった。事業名にはアメーバと名付けた。
進退をかけて
2006年、ライブドア事件によりベンチャー冬の時代に突入した。サイバーエージェントの経営も、難しい舵取りを迫られた。貸金業法の改正により、主要広告主であった消費者金融の広告出稿が激減し、ネット広告関連売上が大きく落ち込んだ。ミクシィへの投資の売却益、立ち上がったFX事業で稼いだ利益は、収穫逓増型モデルでもなければ、継続性すら怪しいものだった。次に当てにできる主力事業がない、という状況だった。
上場している会社がゼロから大型の新規事業を立ち上げるのは困難を極める。赤字で実績がないところから、情報を開示しなければならない。気長に新規事業が育つのを待ってくれるような株主はほとんどいない。主力事業に育てようと目論んでいたアメーバは赤字の上、参入は最後発だった。
アメーバはいつまで経ってもアクセス数が増えていなかった。世間的にもブログサービスは伸び悩み始めていた。「アメーバの事業本部長はおれに代わる。あと2年でダメだったらおれは責任とって会社を辞める」アイデアは人に人任せにせず、最後まで全部責任を持って考える姿勢で臨んだ。
ふと周りを見渡してみれば、ムキになってブログサービスの機能を拡充したり改善を加えたりして進化を試みているのはもはや私だけしかいない状況だった。「それで仮にページビュー数が伸びたとして、それ儲かるんですか?」投資家からも、冷ややかな声をかけられた。
2009年9月、アメーバはついに黒字化した。その後、売上は倍々ゲームで伸びていった。アメーバが今日のような姿になる事を信じていたのは世界で私ただ一人だった。誰も相手にしない、たった一人の孤独な熱狂だった。不可能を可能にするのが起業家である。皆の反対を押し切っても、逆風に晒されても、それでも自分が本気で熱狂しているものなら不屈の精神で乗り越えなければならないのだ。