スティーブ・ジョブズが青春時代にむさぼり読んだ、禅のバイブル。世界中で禅の入門書として読まれている。
■常に初心者でいること
禅の修行で一番大事な事は「2つ」にならないという事である。私達の「初心」はその中にすべてを含んでいる。それは、いつも豊かでそれ自体で満ち足りている。この、それ自体で満ち足りている心の状態を失ってはならない。これは「空の心」、それゆえ、常にどんな事も受け入れる用意がある心である。心が空である時、どんな事にも開かれている、という状態にある。
初心者の心には多くの可能性がある。しかし、専門家といわれる人の心には、それはほとんどない。いろいろな事を分け隔てすると、自分で自分の限界をつくってしまう。何かを求める事が強すぎたり、欲が強すぎたりすると、心は豊かで満ち足りた状態ではなくなっていく。
自分中心の思考がない時、私達は本当の初心者である。この時、私達は初めて何かを学ぶ事ができる。初心者の心は、すべてを受け入れる慈悲の心でもある。心が慈悲に満ちている時、それは無限なものになっている。
■空
未来について、固定した考え、あるいは希望などを持っていると、今、ここにおいて、本当に真剣にはなれない。「明日、やろう」「来年、やろう」などという。今日存在するものは、明日も存在すると考えている。しかし、永続的に存在するような確かな道などない。誰かによって用意された道はないのである。一瞬、一瞬、私達は自分の道を見つけなければならない。完全性という考え、あるいは誰かによって、あるいは誰かによって用意された完全な方法などというものは、私達にとっては真の道ではない。
私達1人1人が、自分の真の道をつくっていかなければならない。そして、それをする時に、その道は普遍的な道を表わすのである。一番いいのは、自分を理解する事である。すると、すべてが理解できる。自分の道をつくろうと一所懸命になると、人を助ける事になる。その時、あなたは人から助けられる。私達は、真の理解は空から生まれる、という。
■無を信じる
無を信じるという事が必要である。つまり色や形を何も持たないもの、すべての形や色が現れる前に存在しているものを信じなければならない。どのような神や教義を信じるにしても、それに執着してしまうと、信仰は多かれ少なかれ、自己中心的になる。自分を救うために、完全な信仰を求める。このような完全な信仰を獲得するには時間がかかる。そして、その理想像を実現しようとするために、落ち着く暇がない。
しかし、見るものすべてが無から現れたものとして受け入れるように準備していて、特定の色や形を持った現象は、何か理由があってそう現れているのだと知ると、その時、あなたは完全な落ち着きを得る。
無はいつも特定の形をとろうと待機している。その働きには、規則、理論、あるいは真実がある。このような存在が、人間の形をとった時、それをブッダと呼ぶ。この理解は非常に大切である。この真理の上に、私達の活動や思考、そして修行の基礎が置かれてなければならない。
■意識を超えて
自分を平安にするということ、特定の考えに固執しないという事がポイントである。何かが気がかりであると、完全な落ち着きには達しない。完全な落ち着きに到達するには、何もかも忘れてしまう事である。その時心は平静で、物事を何の努力もなしに、ありのままに見る事ができるほど、広々として透明なものになる。完全な平安を見つけるには、何であれ、物事に対するどんな考えも持たない事である。
すべてをありのままにしておく。するとどんな物事も、あまり長い間心にはとどまっていない。やがてあなたは透明で、空の心を長い時間持つようになる。
著者 鈴木俊隆
1905年生まれ。僧侶 神奈川県平塚市の曹洞宗松岩寺に生まれる。12歳で静岡県周智郡森町の蔵雲院の玉潤祖温老師に弟子入り、駒沢大学在学中に蔵雲院住職、1936年に静岡県焼津市の林叟院の住職となる。 1959年渡米し、サンフランシスコ禅センターを設立。1967年カリフォルニア州タサハラにアジア以外では最初の禅院である禅心寺を開く。1971年に68歳で禅センターにて逝去。 渡米12年の間にアメリカにおける禅の基礎を築いた。欧米では20世紀を代表する精神的指導者の一人とされる。
帯 アップルCEO スティーブ・ジョブズ |
章名 | 開始 | 目安 | 重要度 |
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プロローグ ビギナーズ・マインド―初心者の心 | p.30 | 3分 | |
第1部 正しい修行 | p.35 | 30分 | |
第2部 正しい態度 | p.94 | 51分 | |
第3部 正しい理解 | p.195 | 43分 | |
エピローグ 禅の心 | p.279 | 7分 |