ピクサー創業者が、創造的な発想を生み出すために必要な会社のマネジメント方法を書いている本です。皆がいかに自由にコミュニケーションをとれるかという企業文化を築くことが、いいものをつくる鍵だといいます。
■ピクサーの基本的な考え
『トイ・ストーリー』をきっかけに、ピクサーのクリエイティブを特徴づける2つの基本的な考え方が生まれ、皆が心の拠り所にし、標語か合い言葉のように会議で繰り返し唱えるようになった。それを指針にして、『トイ・ストーリー』と『バグズ・ライフ』の初期段階の試練を乗り越えられた。
①物語が一番偉い
技術であれ、物品販売のチャンスであれ、何であってもストーリーの妨げになってはならない。
②『プロセスを信じよ』
様々な要素が絡むクリエイティブな作業には、必ず困難や失敗がついてくるが、「プロセス」に従った進めば切り抜けられると信じていい。ピクサーは、アーティストには「遊び」を、監督には権限を与え、社員の問題解決能力を信頼する会社である。
■ピクサーの誕生
1983年、ジョージ・ルーカスは離婚し、その慰謝料の支払いがルーカスフィルムのキャッシュフローに重大な影響を与え、事業を合理化せざるを得なかった。彼はコンピュータには非常に興味を持っていたが、あくまで実写映画の向上に利用するためだった。投資の集約を迫られ、彼はコンピュータ部門を売却する事にした。コンピュータ部門の第一の資産は、ピクサー・イメージ・コンピュータを軸に築いたビジネスだった。元々は映画のフレーム処理のために開発したものだったが、医療用画像やデザイン・設計の試作、情報機関向けの画像処理など、複数の用途に実績があった。ルーカスフィルムは現金1500万ドルで売却したかったが、どの企業も食いつかなかった。
スティーブ・ジョブズに会ったのは1985年。ルーカスフィルムのハードウェア研究部門を見学しにやってきた。彼はルーカスフィルムのグラフィックス部門の買収を申し出た。しかし、彼の狙いは当初、アニメーションスタジオを作る事ではなく、アップルに対抗する次世代の家庭向けコンピュータを作る事にあった。その後、スティーブはコンピュータとグラフィックスを結合させて新たなビジネスを探る事も容認すると言った。
結局、ピクサーをルーカスフィルムから分離独立させるために500万ドル支払い、買収後に新会社の経営資金としてもう500万ドル支払って、株式の70%をスティーブ、30%を社員が保有する形となった。
ジョブズはハイエンドマシンを作った事も売った事もなかったため、経験もなかったが勘も働かなかった。営業やマーケティングをやる人間が1人もなく、そのような人材をどのように探したら良いのかもわからなかった。
1980年代後半、ピクサーの地盤固めを進めていた間、ジョブズはアップルから追放された後に起こしたコンピュータ会社、NeXTを軌道に乗せる事に専念していた。ピクサーのオフィスには年に一度しかやってこなかった。
ピクサーが発足して最初の数年間には成功したものもあった。短編映画『ティン・トイ』がピクサー初のオスカーに輝いた。だが、会社は赤字を出し続けていた。ジョブズとの緊張関係が深まった。彼は事業が最も落ち込んだ時、5400万ドルもの資金を自分のポケットから会社に注ぎ込んでくれた。
ピクサー・イメージ・コンピュータは、結局300台しか売れなかった。そして、すぐに新製品をつくるほどの体力はなかった。社員は70名を超え、経費が重くのしかかっていた。とるべき道はハードウェアの販売を諦める事しかなかった。
この時、自分たちが最初からやりたくて仕方がのなかった事をとことん追求するという決意をした。つまり、コンピュータ・アニメーションだ。それこそが真の情熱であり、残された唯一の選択肢だった。
著者 エイミー・ワラス
ジャーナリスト。 「GQ」「ニューヨーカー」「ニューヨークタイムズマガジン」などに寄稿。現在は、「ロサンゼルス」誌に好きなテーマで定期的に記事を書いている。その前には、「ロサンゼルスタイムズ」の記者・編集者を務め、「ニューヨークタイムズ」の「サンデー・ビジネス」欄に毎月コラムを書いていた。
著者 エド・キャットムル1945年生まれ。ピクサー・アニメーション・スタジオ 共同創業者 ピクサー・アニメーション、ディズニー アニメーション 社長 ユタ大学を去った後、ニューヨーク工科大学にてコンピュータグラフィックスラボを設立。1979年、ルーカスフィルムに移籍。ルーカスフィルムにおいて、デジタル合成技術の開発を促進した。一方でフルCG短編の制作に注力し、CGアニメーターとしてジョン・ラセターを見出す。 1986年、アルヴィ・レイ・スミス、スティーブ・ジョブズと共にピクサーを共同設立。ピクサーでは、3DCGレンダリングソフト RenderMan に主要開発者として関わっている。 コンピュータグラフィックス分野における功績に対し、ゴードン・E・ソーヤー賞を含む五つのアカデミー賞を受賞している。
日本経済新聞 |
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日経ビジネス |
章名 | 開始 | 目安 | 重要度 |
---|---|---|---|
序 章 再発見 | p.7 | 10分 | |
第1章 生命を吹き込む | p.20 | 19分 | |
第2章 ピクサー誕生 | p.44 | 23分 | |
第3章 より長く、より遠く | p.74 | 21分 | |
第4章 ピクサーらしさ | p.101 | 18分 | |
第5章 正直さと率直さ | p.124 | 21分 | |
第6章 失敗と恐怖心 | p.151 | 22分 | |
第7章 貪欲な野獣と醜い赤ん坊 | p.180 | 15分 | |
第8章 変化と偶発性 | p.199 | 20分 | |
第9章 隠れしもの | p.225 | 18分 | |
第10章 視野を広げる | p.248 | 34分 | |
第11章 未来に踏み出す | p.292 | 17分 | |
第12章 新たな挑戦 | p.314 | 30分 | |
第13章 創造する環境 | p.353 | 20分 | |
終 章 私の知っているスティーブ | p.379 | 19分 |