人は「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という根源的な問いへの答えを見つけられないことが、漠然とした不安の原因になっている。精神科医の著者が、この漠然とした不安に向き合うためには仏教を日常に取り入れる事が有効であると説く。
■漠然とした不安
どんな人でも、人生の中で悩み、不安を覚えながら生きている。悩みや不安というのは「繰り返し襲ってくる」という性質を持っている。私達は悩みや不安に直面すると、その原因となる問題を解決して、暗い気持ちを振り払おうとする。しかし運良くそれを振り払えたとしても、その後ずっと、悩みや不安から解放された人生を送る事ができるようにはならない。大抵はすぐに、同じような悩みや不安に囚われてしまう。
悩みや不安が振り払ってもなくなる事がないのは、具体的な1つ1つの悩みの根底にある「漠然とした不安」を解消できずにいるからである。それは恋愛やお金、人間関係といった具体的な形を取らない、暗く、澱んだ心の状態の事である。どれだけ幸福そうに日々を送っているように見える人でも、その心の中には、悩み、苦しみの渦中にある人とほとんど変わらない「漠然とした不安」がある。
人間は生まれや育ち、その後の出会いによって様々な人生を歩む事になる。しかし、ただ1つ「やがて死ぬ」という運命については例外なく共有している。だとしたら、私達1人1人が日々苦労しながら過ごしているこの人生には、いったいどういう意味があるのか。この問いに向き合い始めると、その人の悩みや不安、人生がそれまでとは違った意味合いを持ち始める。
「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いに答えるためには、現実を「ありのまま」に捉えなければならず、現実を「ありのまま」に捉えるためには「行」に取り組む事が必要である。
著者 名越 康文
1960年生まれ。精神科医 相愛大学、高野山大学客員教授 専門は思春期精神医学、精神療法。大学卒業後、大阪府立中宮病院(現:大阪府立精神医療センター)にて、精神科救急病棟の設立、責任者を経て、1999年に同病院を退職。 引き続き臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析など様々な分野で活動している。
帯 作家 いとうせいこう |
an・an (アン・アン) 2015/05/13号 [雑誌] |
章名 | 開始 | 目安 | 重要度 |
---|---|---|---|
はじめに | p.3 | 2分 | |
第一章 どうせ死ぬのになぜ生きるのか | p.13 | 14分 | |
第二章 仏教には行がある! | p.39 | 12分 | |
第三章 最強の心理学としての仏教 | p.61 | 22分 | |
第四章 因縁を断ち切る「行」の力 | p.101 | 15分 | |
第五章 無常を知るということ | p.129 | 15分 | |
第六章 日常の中でお寺や仏具を活用する | p.157 | 15分 | |
第七章 仏教の真髄は瞑想にあり | p.185 | 18分 | |
第八章 現世で善行を積もう | p.217 | 19分 |
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