あらゆる他者に尊敬を抱き、対等な存在として接すること
「課題の分離」を一面的に捉えると、あらゆる教育は他者の課題への介入になり、否定されるべき行為になってしまう。しかし、教育とは「介入」ではなく、自立に向けた「援助」である。子供達の決断を尊重し、その決断を援助する。そしていつでも援助する用意がある事を伝え、近すぎない、援助ができる距離で見守る。たとえその決断が失敗に終わったとしても、子供達は「自分の人生は自分で選ぶ事ができる」という事実を学ぶ。
アドラー心理学では、人はみな、無力な状態から脱し、より向上していきたいという「優越性の追求」を抱えて生きる存在だと考える。つまり人は「自立」を求めている。他者がおらず、自分1人で生きているのだとすれば、知るべき事はなく、教育も必要ない。共同体の中でどのように生きるべきなのか。他者とどのように関わればいいのか。どうすればその共同体に自分の居場所を見出す事ができるのか。
教育、指導、援助が「自立」という目標を掲げる時、その入口は「人間への尊敬」にある。あらゆる他者を尊敬すること。尊敬とは人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二である事を知る能力の事である。もし誰かから「ありのままの自分」を認められたら、その人は自立に向けた大きな勇気を得る事になる。尊敬の具体的な第一歩は「他者の関心事」に関心を寄せる事にある。
人の幸福は人とのつながりの中にある
人間は狩猟採集の昔から、その身体的な弱さゆえに共同体をつくり、協力関係の中に生きている。だから我々はいつも、他者との強固な「つながり」を希求し続けている。すべての人には共同体感覚が内在し、それは人間のアイデンティティと深く結びついている。だから、我々は「交友(相手に信頼をよせて対人関係を築く)」を実践し、共同体感覚を掘り起こしていく必要がある。
アドラーは「すべての悩みは対人関係の悩みである」と語る。その言葉の背後には「すべての喜びもまた、対人関係の喜びである」という幸福の定義が隠されている。すなわち,幸福になるためには、対人関係の中に踏み出さなければならない。
アドラーは「幸福とは貢献感である」と結論づける。我々はみな「私は誰かの役に立っている」と思えた時にだけ、自らの価値を実感する事ができる。自らの価値を実感し、「ここにいてもいいんだ」という所属感を得る事ができる。
すべての人間は過剰なほどの「自己中心性」から出発する。しかし、いつまでも「世界の中心」に君臨する事はできない。我々は他者を愛する事によってのみ、自己中心性から解放される。自立とは「自己中心性からの脱却」なのである。そして、自立の結果、共同体感覚に辿り着く。「生きている」それだけで貢献し合えるような、人類のすべてを包括した「わたしたち」を実感できる。