初めから多くのことを企てない
あなたが「やりたい」と思っていた事が何であれ、楽なやり方、王道などといったものは存在しない。聖地への道は非常に険しい。何よりも悪い事は、結局そこへは決して辿り着けない事だ。24時間という与えられた時間の中で、充実した快適な1日を過ごせるように生活を調整する際に心得ておくべき最も重要な事は、そうする事がいかに至難の業であるか、そのためにいかに多くの犠牲を払い、倦まずたゆまず努力し続けなければならないかと、冷静に悟る事である。
初めからあまり多くの事を企てないようにしよう。少しで満足する事だ。思いがけない事が起きる可能性や、人間性というやつも頭に入れておこう。失敗者の多くは、あまりに多くの事を企てすぎて失敗したのだ。
「内なる1日」をつくる
特別な人間でもない限り、普通は自分の仕事に対してあまり情熱を燃やしていない。あるいは、よくても「嫌いではない」といった程度であろう。彼はなかなか仕事にとりかかろうとせず、始める時は不承不承の体である。そして終業時間がくるのを、今か今かと首を長くして楽しみに待っている。仕事に全力投球するなどという事はまずない。
このような心構えで仕事をしているくせに、朝10時から夕方6時までの勤務時間があくまで本当の意味での「1日」だとみなし、勤務時間の前の10時間とあとの6時間は、単なるプロローグとエピローグに過ぎないと思っている。1日に対するこのような姿勢は、仕事時間以外の16時間に対する関心を失わせてしまう。その結果、時間を無駄に費やさないまでも、それを大切な時間だとは思わなくなってしまう。
1日の2/3の時間を単に1/3を占める勤務時間に付随している時間に過ぎないとしてしまうなら、完全に充実した1日を過ごす事など、望める訳がない。普通の人が、充実した完全な1日を送りたいと思ったら、頭の中で、1日中にもう1つ別の1日を設けるようにしなければならない。この「内なる1日」は、ひとまわり大きな箱の中に入っている小さな箱のようなもので、夕方6時に始まって翌朝の10時に終わる。16時間の1日というわけである。この16時間はすべて、もっぱら自分の心と身体を成長させ、同胞を啓発する事だけに使うのだ。
この16時間はすべてのものから解放されている。まず、給料を稼いでくる必要がない。そして、金銭上の問題に気をとられる事がない。「内なる1日」を有意義に過ごすには、このような心構えが何よりも大切である。