人は他人の真似をする
育った場所や周りにいる人々が持つ規範や慣習などは、私たちの言葉から振る舞いまで、あらゆるものを規定する。どのブランドの商品を買うとかいった単純なことから、どんなキャリアを追求するかといったもっと重大なことまで、私たちは、周りの人たちがするように物事を決めていく傾向がある。他者を真似るというこの傾向は非常に根本的なものであり、動物でも確認されている。
私たちは、自分がより良い決断をするための有用な情報源として、他人を頼ることはよくある。他人を情報源として利用すれば、自分の時間と労力が節約できる。これは意思決定を単純化する1つの経験則である。ただ、たとえ答えを知っている時でも、他人の行動は、やはり自分の行動に影響を与えることがある。その理由は、周囲からのプレッシャーにある。ほとんどの人は、周囲から好かれたいと思っている。だから、多くの場合、人々は同じ方向に進む。
けれども、情報と周囲からのプレッシャーを別にしても、人々が同調するのにはもう1つ別の理由がある。人には周りの人の感情表現を模倣するという傾向がある。人間は顔の表情、身振り、行動、さらには言葉まで、周りの人に合わせて変化させる。他人を真似るという傾向は、赤ちゃんの時から見られるものだ。自分では気づいていなくても、私たちは周囲にいる人の行動を絶えず、そして自動的に模倣しているのである。
差別化への欲求を持つ
ほとんどの人は、自分一人だけで何かをするのは嫌だと思うが、同じことをする人があまりに増えると、次へ進んで別のことをしたくなる。相手が1人であれ、100万人であれ、他人と似すぎているというのは、負の感情反応を引き起こすことが多い。人を動揺させたり落ち着かなくさせたりする。だから、私たちは何かを選ぶ時、どこか違う感じを出そうという意識が働く。
違いは何かを定義づけるものとしての価値が高い。もしすべての人が全く同じならば、自己の感覚を持つことが困難だろう。差別化がアイデンティティの感覚を確立するのに役立つ。これは子供が大人へと成長する過程でよく見られることである。
類似性の海の中にいながら、私たちは個性の感覚を持っている。自分は違う、特別なのだという感覚だ。この違いを求める原動力には違いがある。中流階級の人々は、人気のあるアイテムを選ぶのを避け、自分が持っているものを誰かが選ぶと、それが好きだった気持ちが薄れる。ところが、労働者階級の人々は、人と同じになることにそれほど抵抗がない。彼らは人気のないものよりあるものを選び、自分と同じものを誰かが選ぶと、それがもっと好きになる。異なる文化の間でも、違いが果たす役割は変わる。個性とは、文化的背景から派生した好みの問題なのである。