編集者とは
編集者の仕事を一言で言うと「ストーリーを作る」ということだ。今の時代、商品の機能や価格は大体似たり寄ったりだ。これからは、その商品にどんなストーリーを乗っけるかが重要になる。例えば、このTシャツは、どんなデザイナーが、どんな想いを持ってデザインしたのか、そこに込められたメッセージは何か。そういった消費者が心動かされるストーリーを作ることが、洋服でも家具でも食品でも必要になってくる。
そして、「世の中の人が日々、何に涙し、何に悩み、何に歓喜しているのか」が肌感覚でわからなければ、売れる本なんて作れない。マスにヒットするコンテンツというのは、突き詰めると特定の誰か一人に鮮烈に突き刺さるものだ。30代の営業マン向けのビジネス書みたいに、ザックリとした小手先のマーケティングから作った本は売れない。その営業マンはランチに何を食べるのか。唐揚げ定食なのか、コンビニ弁当なのか。特定の誰かを自分に憑依させるかのごとく、そこまで徹底的に想像し、その一人の人生が変わるようなものを作る。そういった超個人的に作ったものが、結果的にマスに広がっていく。
人が日々何を感じているか、ということへの嗅覚は、ストーリーを作る力と同様、これからあらゆるサービス、プロダクトを作る上で重要になってくる。
編集者の根本は遊びのように仕事を、仕事のように遊びをやるということだ。ただ熱狂し、狂う。自分の好きなものに情熱を持ってひたすら入れ込む。結局、本をヒットさせるのも、アプリをヒットさせるのも、ラーメン屋で行列を作るのも、自分自身の人生を乗っけて熱狂できるかどうかだ。
その熱狂が独りよがりなものにならないように、人の感情を丁寧に想像し、自分以外の人にも伝わるようなストーリーに乗せていくのだ。
予定調和を破壊せよ
新しいものを生み出したければ、予定調和や合理性というものからあえて離れて、自らトラブルに突っ込んでいかなくてはならない。編集者などという仕事は善悪や倫理など関係ない。自分の偏愛や熱狂が抑えきれなくなって、ほとばしって漏れ出したものが作品に乗って世に届くのだ。
予定調和にロジカルに考えても計算通りのものしか生まれない。無難に生きても何も起こらない。誰かが作った道を踏み外す。カオスにこそ、まだ見ぬ景色がある。思いっきりバットを振れば、熱狂は伝播する。バカにして笑ってた人たちも次第に巻き込まれていく。無難にやっていたら人はついてこない。人は危うさに魅せられる。地面に頭から突っ込む。咄嗟に足が出る。その繰り返しで駆け抜けるしかない。
与えられた仕事を段取り通りにこなす。そうすれば失敗しても大きな傷は負わない。しかし、そんな予定調和からは何も生まれない。無理と言われたら突破する。ダメだと言われたら強行する。半ば意識的に予定調和を破壊する。