間違った出発点
ネットを使いだしてから半年近くたった頃、馬化騰は自分の掲示板サイトを立ち上げた。馬化騰のプロダクト意識とユーザー体験に対する理解は、この時期に形成された。
1998年、馬化騰は同級生だった張志東と再会し、起業に誘った。登場してまもないインターネットを普及が進んだポケベルと組み合わせて、ソフトウェアシステムを開発する。端末でインターネットからの呼び出しを受信して、ニュースやメールなどを受け取れる。
インターネット創世記の中で、テンセントは間違いなく最も目立たない存在の1つだった。ポータル、検索、eコマースといったどの流行りにも属さず、自身を定義できなかった。その出発点すら間違っていた。インターネットとポケベルを合体させた「ワイヤレスネットワーク呼び出しシステム」はダメなプロダクトだった。成長が見込めない産業においては、どんなイノベーションもそれに見合うリターンを得るのは難しい。馬化騰のイノベーションはすべて、皆がポケベルを使い続けることが前提だった。致命的な問題として、1998年以降は携帯電話の普及が進んでおり、ポケベルは時代遅れで打ち捨てられる通信製品になりつつあった。業界の重大な転換点で、馬化騰は立ち遅れた側に立っていた。
偶然から巨人が生まれた
馬化騰のチームがICQ開発を始めたのは、偶然の出来事だった。ICQは、インターネット上でのチャット、メッセージ送信、ファイル送信などをサポートしている。1998年、馬化騰は広州電信の情報ポータルサイトを見て回っていた時、たまたま入札募集情報を見かけた。広州電信がICQに似た中国語のリアルタイム通信ツールを購入したいので、競争入札に付すという。馬化騰は参加することに決めた。競争入札はテンセントに何のチャンスも与えなかったが、馬化騰はICQを開発する決意をした。この時点では、これが「小さな巨人」に成長するとは決して考えてなかった。
テンセントがOICQを開発していた頃には、ICQがとっくに成熟して中国市場進出も果たしていたし、漢字版ICQも3製品あった。なのにテンセントがトップになれた理由は1つある。1つは競合たちの気の緩みと弱々しさ、2つ目は自社技術のマイクロイノベーションだ。テンセントは、技術面で後から振り返れば大成功と言えるマイクロイノベーションをいくつか行った。ユーザーのデータと友人リストをクライアントからバックエンドのサーバーに移し、職場やネットカフェのPCから接続を可能にした。ソフトウェアのサイズを小さくし、ダウンロード時間を短くした。
OICQのユーザーは右肩上がりに成長し、9ヶ月で100万を超えた。OICQは、チャイナモバイルとの提携により、携帯電話のショートメッセージとして利用され、爆発的にユーザーを増やしていった。